東側に、市指定の史跡「花井の井戸」があります。昔、この付近が、花井の里と呼ばれていた時代から、枯(か)れることなくわいている井戸です。
まだ、正式な発掘調査は行われていませんが、次のことが考えられます。
安行Ⅲ式の土器破片が多いことから、多摩地域には少ない、縄文晩期の遺跡だろうということです。
2.坂上遺跡の縄文晩期土器
また、チャート◆の剥片が多いことから、当時、チャートのスクレイパー◆がたくさんつくられていたということです。いずれにしても、昭島市域での、縄文文化の終末期の様子を知るうえで、たいへん貴重な遺跡といえます。
◆チャート
珪質の堆積岩の一つ。非常に固く、層状に剥(は)がれ易いものが多い。
◆スクレイパー
剥片や石片を使って、刃(は)の部分を作り出した石器。旧石器時代以降作られた。
◆須恵器
古墳時代中期から、平安時代の終りにかけて焼かれた土器の一つ。
中国の技術が、朝鮮半島を経て渡来。
日本古来の土師器を煮炊きに、液体などの貯蔵に、須恵器が使われた。
◇弥生時代と昭島
明治十七(一八八四)年、有坂〓蔵さんが、現在の、文京区弥生町の貝塚から壺を発見した。縄文式土器と違うので、発見された地名をつけて、弥生式土器と名付けられた。
その後、弥生式土器が作られた時代を、弥生時代と言うようになった。縄文晩期から始まった稲作が盛んになり、石器に、銅器や鉄器が併用されるようになった。
さまざまな布も織られ始め、さまざまな墓も造られた時代。銅や鉄で作られた道具が祭器となり、副葬品として葬られたという特徴もある。古墳時代前の、紀元前三百年ごろから、紀元三百年ごろまでを指す。
しかし不思議なことに、青梅・昭島・府中という多摩川左岸には、弥生時代の遺跡がまったく見つかっていない。
当時はまだ、洪水の心配がある多摩川のそばには、田を開く力がなかったからだろうと、考えられている。