公園の辺りは、字浄土と呼ばれていました。『新編武蔵風土記稿』に、古刹、天台宗の浄土寺があったと書かれています。
昭和五十(一九七五)年、この付近が住宅化されるという情報を得た市の教育委員会は、浄土寺跡を確認するために、発掘調査を行いました。
調査の結果、寺院跡は発見されませんでしたが、古墳(一号墳)の石室が発見されました。
古墳は、地面の下に玉石を積んでつくった竪穴式的横穴石室と呼ばれる、終末期古墳です。七世紀のものと考えられています。
主体部は、全長およそ六メートル、幅はおよそ二メートルの長方形です。入口は南を向き、奥壁は、凝灰質砂岩の一枚岩です。(写真1)
1,奥壁の石
側壁は、細長い河原石が積み上げられています。残っていたのは、五~七段でした。入口も、河原石でした。
2.石室全景
遺骸の頭部と思われる所から、十五センチメートルの間隔を置いて、二つの耳飾りが出土しました。
石室の遺存状態が極めて良かったので、市は史跡に指定しました。そのうえで周辺を買収、遺跡公園としました。
その後、五十六年、本墳の南から四基(二~五号墳)の小形古墳も発見されました。これらのことからこの地域に古墳群が形成されていたと思われます。