平成七(一九九五)年初め、この地域にあった木造住宅三棟を取り払って、新たに共同住宅を建てたいという届出がありました。この地域は、戦時中に、直刀二本が発見されています。そこで、石室など発見される可能性があったので、六月から、確認調査をしました。
本調査は、七月から行われました。すると、石室側壁が確認され、内部の土を掘り下げると、やがて、直刀が発見されました。直刀は保存状態も良く、貴重な遺物なので、脱塩し、錆止めなどの処理をして、保存しました。
直刀の約五センチメートル下から、扁平な河原石を敷きつめた床面が出土しました。古墳の玄室床面です。
古墳は、周溝をもっていました。しかし古墳の部分が、集合住宅の中心部に当たるので、保存は不可能です。そこで、徹底的な分解調査が行われました。その結果、およそ次のようなことがわかりました。
1.墳丘の直径十四メートルの円墳。
2.河原石を乱積みした横穴式石室。
3.石室は、胴張構造。玄室の排水のため、玄室床面より羨道が、約二十センチ低くなっている。
1.石室側壁
3.石室と大刀出土の状態
4.古墳の設計は、三十五センチの高麗尺を基準とし、石積みの仕方などにも、細かい配慮がされている。
5.大刀・鉄鏃・砥石などの副葬品は、いずれも、七世紀前半のものと推定できる。
5.出土の大刀と鉄鏃・砥石
○大刀は、全長92cm、刃渡り77cm
刀身の幅1.3~2.0cm
○鉄鏃、柳葉形、全長11.5cm
6.周溝から出土の土師器の坏も、七世紀前半のもので、これからも、古墳築造の時期が推定できる。
2.周溝 北側を東から見る
幅160~180cm。確認面からの深さ、60~70cm。
逆台形。
4.出土の土師器の坏
口径13.3cm 器高6.0cm
内面全体に赤彩を施した優品。
多摩川流域の古墳文化は、中・下流の大古墳や古墳群が、早くから注目されてきました。
一方、中・上流には大古墳はなく、どれも、古墳時代後期から末期にかけてのものばかりで、あまり関心が持たれていませんでした。
確かに、昭島市より上流の、福生市・羽村市・青梅市などでは、これまでのところ、古墳は発見されていません。
しかし昭島市の、拝島段丘の縁からは、古墳が発見されています。
大神古墳の西には、浄土古墳があります。東の方には、経塚下古墳があります。
それぞれの年代に、多少の違いがありそうですが、副葬品が少なく、断定はできません。大神古墳とのつながりなど、今後の研究が待たれます。