領主の農民支配

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 幕府や旗本の農民支配の目的は、年貢を取ることが中心でした。幕府の兵農分離政策によって、武士である領主は江戸に住むようになりました。そのため、農民を直接支配することができなくなり、年貢を一村の総百姓の連帯責任で納めさせる「村請制」にし、村役人を通して支配をするようになりました。
 領主が決めた一村の年貢を村に年貢割付帳により通達し、それを受け取った村では、村役人が農民の持ち高に応じて割り当てました。
 築地村の年貢割付帳を例に見ると、鮎運上◆、伝馬宿入用◆、御蔵前入用◆、六尺給米◆などの文字も見られ、村ごとに田畑からの生産物以外のことにも、さまざまな雑税が決められ、納めさせられていました。
 
寛文検地に見る農民の土地所有状況
 
上川原村
11~15反4人50
 6~10 6 
 1~ 5反8 50
 1反未満2 
20人100%

 
田中村
16~20反1人 2
11~1510
 6~10 5 
 1~ 5反33 88
 1反未満11 
50人100%

 
拝島村
26~30反1人 1.6
21~251 
16~202 
11~1513 22.1
 6~10 41 
 1~ 5反139 76.3
 1反未満48 
245人100%

 
中神村
11~15反3人33.3
 6~10 13 
 1~ 5反21 66.7
 1反未満11 
48人100%

 
大神村
16~20反2人 2.5
11~15 3 24.4
 6~10 16 
 1~ 5反39 73.1
 1反未満18 
78人100%

 領主の指揮を受けて村の管理にあたる村人を村役人といいました。名主・組頭・百姓代の三つの役があったので、村方三役ともいわれました。
 名主は村の長で、村の政治や財政に関する一切のことの事務を取(と)り扱うのが役目でした。組頭は名主を補佐し、百姓代は、名主と組頭による村の仕事を監視する役割をもっていました。
 この村方三役は、領主の指揮を受けて村を支配していたので、それぞれの領主の領地ごとにおかれていました。一つの村に複数の領主がいる場合には、複数の村方三役がいたわけです。
 それぞれの村には、この村方三役を頂点にして、五人組という制度がありました。これは、農村の治安や年貢の納入・協同耕作などを確実に維持するための仕組みで、違反する者がでた場合は連帯責任にすることにより、お互がいに監視をさせました。
 
◆鮎運上
 小物成として鮎を納めていた。小物成とは、年貢とは別に、地方の特産物を雑税として課したもの。築地は多摩川の鮎が特産物であった。
◆伝馬宿入用
 江戸幕府の直轄地に付加された税。五街道の問屋・本陣の給米、宿場入用にあてるために村高に応じて幕府が直接徴収した。
◆御蔵前入用
 幕府の米蔵である蔵前を維持するための費用として幕府領に課せられた税。石高百石につき、関東では、二百五十文と決められていた。
◆六尺給米
 幕府の雑役人夫の給米に充(あ)てるために、村の石高に応じて幕府領に課せられた税。伝馬宿入用、御蔵前入用と併せて高掛物三役といわれた。