郷地村の絵図で見てみると、東西に村を横切る五日市道(奥多摩街道)に沿って集落があります。段丘に沿って自然林があり、段丘の下からわき出るわき水の近くに人々が家を構え生活をしていました。集落の北側の林は、武蔵野特有の季節風や砂塵を避(さ)けるための、屋敷林といわれるものでした。
その南の低湿地には、わき水に多摩川の分水「九か村用水」とそれからの分水がありました。村の人々は、この低湿地に早くから水田を開きましたが、この地は洪水を受けやすく良質な田ではなかったようでした。
段丘のうえは、畑作地が広がりさらにその北側には山と呼ばれた自然林がありました。この自然林は秣場ともいわれ、薪や家畜の飼料、田畑の肥料を得るための場としての役割を果たしていました。
郷地村絵図(1820年代)