若者組と村の秩序

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 村人の子どもは、年齢が十五~十七歳になると若者組に入るのがこの時代の慣わしでした。
 若者組とは、若衆組・若者仲間とも呼ばれた年齢集団で、成人になるまで組の一員として行動しました。若者組に入ることにより、村仕事のうえで一人前と認められ、村の行事にも参加できるようになりました。
 若者組は、村内の警備、消防、普請、農作業など村で行う活動を担っていました。若者組の仲間は、時を定めて集会を開き、仲間内の秩序や道徳を厳しく規定し、制裁を行うところでもありました。
 若者たちにとっては、村の年上の者から、社会常識、社会秩序、農業をはじめとするさまざまな知識や技術を習得し社会人としての心得を学ぶ場でもありました。また、村にとっても、協同の行事や作業に欠かすことのできない存在であり、若者の行き過ぎた行動を規制し村の秩序を維持していくために大きな役割を果たしていました。
 しかし、十八世紀の末になると、産業の発達につれて、村の構造にも変化が出てきました。家格・身分が経済力と一致していたころには、村役人を中心とした秩序がうまく機能していましたが、新たに経済力を持ち、発言権を求める人々が多くなり、村内での対立も生まれてきました。
 若者組にもその影響が生まれ、一八一五(文化十二)年の日吉神社の祭り、若者が集まっていた屋敷に、他の者が押し入り、家を壊し大けがをさせました。また、その仕返しに、袋叩きにし監禁するという、村ではかつてない事件も生じました。他の村でも、このような、若者による村の秩序違反が生じていました。

日吉神社の祭礼(榊祭り)

 村落の秩序の動揺は、村の秩序維持の重要な担い手であった若者組にも対立を生みだしていました。