四 村の生活と文化

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 江戸時代には、元禄期と文化・文政(ぶんか・ぶんせい)期にその文化が花開きました。それぞれ、元禄文化・化政文化と呼ばれています。
 元禄文化が上方の上層の町人を中心に栄えたのに比べ、化政文化は江戸の中下層の人々にも広まった文化でした。
 化政時代の文人として有名な大田南畝(蜀山人)の記述に、八王子に住んでいる女流俳人星布尼が出てきます。その星布尼の八十歳を記念して著した句集『春山集』に、多摩の村々の俳人に混じって、十三人の昭島の俳人が出ています。

春山集

 また、昭島の地域の村人が集まって開いた句会の記録も残されています。このことから、文化・文政(一八〇四~三〇)のころには、昭島の地域でも村人による文化活動が行われていたことがうかがえます。
 江戸や他地域との商品作物の流通が活発になるとともに、人々の行き来も盛んになりました。
 昭島の人々が、近隣の村だけでなく、江戸やその他の地域にも頻繁に出かけるようになってきました。
 また、他地域の人々が村に出入りするようになってきました。これらの人々は、商品の受け渡しをするだけでなく、新しい情報や文化を村にもたらしました。
 昭島で他地域の人々と交わり、その情報や文化に接する機会の多かったのは、商品の仲買をする人々でした。
 農村の商品作物を扱う人々の中には、その経済力を背景に、また、江戸や他地域の文化人の影響から、俳諧、和歌、国学、茶道などの文化活動をするようになった人々がいました。職業上、このような文化を仲立ちとした他地域の人との関係も必要だったようです。