『露草双紙』を著す

115 ~ 115
 読本書きを職業としているわけでないうたたが、読本をつくることは大変なことでした。原稿が完成してから本にするまでに十数年の時間がかかりました。
 まず資金が必要でした。文化活動に力を注いできたうたたにその資金はありませんでした。そのうえ、本にするまでに出版業者とのさまざまな交渉を必要としました。これらの援助をしたのは、江戸の文化人や出版業者でなく、うたたの作品を認めた、うたたをとりまく昭島の地域をはじめ、府中、関戸などの在村の文化人でした。
 うたたの文学を理解するとともに経済的にも豊かな農民が、その背景にいたことにより読本を著すことができたのでした。また、出版の準備のために、何枚かの挿絵と巻頭の人物紹介の口絵を描いたのは、うたたと同じ郷地村の江林斎良山でした。
 うたた一人が昭島の地域の特異な文化人ということでなく、うたたをとり巻く昭島の人々も、うたたと同様の文化の水準を持っていました。