流行神にこめられた願い

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 他地域の社寺への信仰の広がる一方で、流行神の信仰もこの時期の新しい流れでした。
 流行神とは、何かの奇瑞や予言などをきっかけに、それへの信仰が爆発的に流行するものです。
 上川原村で一八三五(天保六)年、爆発的に参詣者を集めた惣十稲荷がありました。
 この時期は天候が不順で、凶作が慢性的に続いていました。いわゆる天保の飢饉の前年になります。
 上川原村の「しま」という病気の女性が神がかりをして、「稲荷を再建してくれれば、病気は全快し、村中の安全をいつまでも保ってあげる」というお告(つ)げをしました。そのとおりにすると、しまの病気はなおり、そのことが近くの村々に広まりました。病人が多数訪れるようになり、いずれも快方に向かいました。これが評判になり、病気の者だけでなく多くの人が参詣に来るようになりました。
 爆発的な信仰は一年も経たずにおさまりましたが、稲荷講は現在も続いています。このような流行神の現象は、この時期の村の人々が、生活の中でさまざまな不安を抱え、常に現実的な救済を求めていたことの現れでした。