拝島大師信仰の広がり

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 昭島の村の人々が村の外に新しい信仰を求めて、伊勢、成田、大山、御岳などに詣でるようになったと同様、他地域の人々が拝島村にある拝島大師に参詣にくるようになりました。
 大師信仰・不動信仰などの、災いをはらい祈りを捧げて加持・祈祷(かじ・きとう)を行う密教系の信仰は、流行神以上の広い範囲で、永続した信者を持つようになり現代までも続いています。
 拝島大師と呼ばれる「元三大師」は、多摩の地域から埼玉の入間郡までの広い地域からの信仰を集め、多くの参詣者でにぎわいました。
 拝島大師本覚院に、一八五〇(嘉永三)年に、亡くなった人の供養や家内の安全を願って、一巻ごとに納めた人の村と名前が記された六百巻のお経が納められました。
 納めた人の村をみると、大部分は多摩の地域ですが、入間郡や高麗郡など埼玉の西部の地域の村がみられます。さらに、江戸や山梨、滋賀の村の名もありました。これは、織物の取引のために拝島宿を訪れるようになった商人たちのものでした。

拝島大師本覚院 文殊楼

 
◇さかき祭り
 拝島大師の西隣に、大日堂と日吉神社がある。
 この日吉神社の祭礼の前夜祭とし行われる「榊祭り」は全国でも珍しい祭りで、都指定無形民俗文化財に指定されている。
 祭礼の九月十九日(現在はこの日に近い日曜日)の午前一時、お祓いを受けた若者たちが、高さ五メートル余りの大榊を丸太で組んだ御輿にし、かつぎ練り歩く。
 五時間ほどかけて町内をめぐり神社にもどり、社前に安置すると、御輿の榊の芯を奪い合(あ)う。
 この芯を獲得した者は、幸福になれるといわれており、若者たちは体を張ってそれを獲得しようとする、激しい祭りでもある。