開港と物価の上昇

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 開港による生糸や茶の海外輸出とともに、金が大量に海外に運び出されました。これは、日本での金と銀との比価が一対五であったのに対し、国際的比価は、一対十五でした。そこで外国人が海外より銀を持ってきて金と交換することが盛んに行われました。交換するだけで一気に三倍の利益があったのです。これに対抗するために、幕府は金の含有量を少なくした貨幣を発行するという貨幣の改鋳を行いました。しかし、それは金の海外流出を押さえる一方で、貨幣の価値が下がり物価が激しく上昇するということになり、人々の生活をさらに苦しくするという結果をもたらしました。
 
明治初年昭島市域村々の生産状況
明治3年明治7年明治5年明治6年明治10年明治5年
拝島村中神村上川原村田中村田中村産出量金額大神村
110石66 155石1 60石  300円
大麦474石73 181石36 50石  38石5 90石  180円31石3 
小麦148石1 112石  26石  81石  50石  160円90石5 
大豆47石33 5石  1石5 30石  9石  36円50石3 
小豆29石44 4石  4石1 7石5 10石  50円10石5 
70石16 88石  26石  5石8 50石  100円9石2 
106石85 50石  11石  7石5 7石  8円3646石15 
蕎麦101石3 20石  10石  29石1 15石  1円85銭29石8 
ごま1石4280石3 0石45 19石1 0石3 17石4 
菜種8石8 3石  1石5 5石  18円
薩摩芋70駄  150駄  2石  30駄  15円
里芋102駄  200駄  30駄  560円
97石33 60枚  150枚  19石1 45石1 125円
生糸(48貫015)(30貫) (7貫500)(9貫550)5貫  300円(15貫550)
蚕種150枚  72枚  200枚  200円
600駄  170駄  190駄  400駄  270駄  
黒八丈100疋  10疋  10疋  
博多帯500本~1000本750本  
木綿縞500反  65反  
藍葉265貫  10貫  
製茶40貫  9貫  8貫200(青茶50貫) 10円(青茶82貫) 
1000駄  1500駄  410駄  500駄  50円
その他を合せ2,199円85銭

 一両で買える米の量をみても、一八六五(慶応元)年から一八六七(慶応三)年を比べると半分近くに減ってしまいました。物価が二年の間に二倍になり、餓死者を出すほどの飢饉のときよりも物価が上がってしまいました。
 
天明・天保・慶応諸物価比較表
品目天明4年天保8年慶応元年慶応2年9月慶応3年正月
両=3斗8升→4斗両=2斗両=1斗6升両=1斗1升両=8升3合
大麦 〃5斗4升 〃4斗8升 〃1斗5升 〃2斗5升 〃1斗3升5合
 〃4斗4升→4斗8升 〃4斗8升 〃3斗8升 〃2斗 〃1斗3升5合
大豆 〃3斗5升 〃4斗7升 〃3斗 〃2斗5升 〃1斗6升5合
小豆 〃8斗→8斗5升 〃4斗6升 〃2斗 〃2斗1升 〃1斗
 〃7斗 〃4斗8升 〃3斗3升
小麦両=4斗4升両=3斗 〃2斗2升 〃1斗3升
菜種 〃2斗4升 〃3斗8升 〃1斗3升
 〃40匁横浜行 両=30匁横浜行 両=27匁
玉糸 〃80匁地 払 〃 33匁地 払 〃 30匁
しけ糸 〃100匁
真木 〃9駄
 〃1駄
蕎麦 〃4斗8升  1斗6升
挽割  1斗6升
1俵(8斗)1両2朱
9〆目 2分1朱
水油 10樽 61両 10樽 62両 10樽 115両
地酒 〃  60両  〃 72両  〃 160両
打麺 両=476目
斎田塩6〆目 銀16匁5分
赤穂塩両=3俵半9〆目1分2朱650文
ふすま1俵124文
芋の葉1樽1分124文
酒糟1樽1分400文
粟ぬか1俵124文
大根40本600文→700文
胡麻100文=1合
両=4〆200文両=4〆200文両=8〆200文

 生糸の好景気で、一時は活気にあふれていた昭島の村でもその物価高の影響を大きく受けました。もともと米の生産高が少なく、商品作物を育て、それを市場で売って生活をしていた村人ですから、この異常な物価の上昇はもろに生活をおびやかしました。特に、慶応年間にはいると、米の値が生糸の値をこえるようになりました。蓄えのない人々は、土地を質入れしたり、借金をしたりして、食料を確保しなければならなくなりました。