戊辰戦争で幕府側が敗れる

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 一八六七(慶応三)年、十五代将軍徳川慶喜は天皇に大政を奉還し、江戸幕府が終わりました。しかし、薩摩や長州を中心とする倒幕派は、あくまでも幕府を討(う)ち、新しい政治体制をつくろうとしていました。
 このような動きに対して、一八六八年一月、会津(福島)・桑名(三重)藩を中心にした旧幕府側が、薩摩藩を中心にした倒幕派を討つために、鳥羽・伏見(とば・ふしみ)の戦いを起こしました。
 鳥羽・伏見の戦いはわずか一日で終わり、勝った倒幕派は、朝廷より「慶喜追討」の命令を受け、官軍として、幕府側の藩や武士たちと戦いながら、江戸を目指して軍を進めました。
 旧幕府側の武士や藩は、山梨では近藤勇や土方歳三たちの甲陽鎮撫隊が、上野では彰義隊が、福島では会津藩が、東北では奥羽越列藩同盟が官軍に抵抗をしましたが、敗れてしまいました。
 箱館(函館)に逃れた旧幕府側は、明治二(一八六九)年、五稜郭で最後の戦いに敗れ、土方はここで戦死しました。
 鳥羽・伏見の戦いから五稜郭の戦いまでの旧幕府側と倒幕側の戦いを戊辰戦争とよんでいます。