明治の政府ができる

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 朝廷は、一八六八年、鳥羽・伏見の戦いの後、慶喜の官位と所領を天皇に返させ、王政復古の大号令を発し、将軍を廃止して天皇による政治を始めることを示しました。三月には五か条の御誓文と五榜の掲示を示し、七月には江戸を東京と改め、九月には年号を明治にしました。
 十月には天皇が東京に移り、江戸城を皇居としました。
 明治政府は、政治組織を新しく定め、それに伴う政治の改革を次々に進めていきました。
 多くの国民は、「江戸幕府が倒れた。これからはすべてが変わる。重い年貢もいばり散らす武士もいなくなるにちがいない」ということを期待していました。
 しかし、昭島の人々は、新しい明治の政府に期待するより、幕府領が天皇の直轄領となり、これからどうなるのかという不安の方が大きく、次々に出される政府の新しい政策にとまどうことも多かったと思われます。
 
五か条の御誓文
一 政治のことは、会議を開き、みんなの意見を聞いて決めよう。
一 みんなが心を合わせ、国の政策を行おう。
一 みんなの志が、かなえられるようにしよう。
一 これまでのよくないしきたりを改めよう。
一 新しい知識を世界に学び、国を栄えさせよう。
 
五榜の掲示の一部
一 大勢で話し合い、一揆を起こしたり、町や村からにげ出したりしてはいけない。このようなことがあったら、すぐに役所にとどけよ。ほうびをあたえる。