新しい政府ができたことによって、まず昭島に影響を及ぼしたのは、明治二(一八六九)年、幕府領や旗本領、また政府によって没収した藩領を府及び県としたことでした。そして府・県には、政府が任命した知事が置かれました。昭島は、幕府領と旗本領が入り交じった地域でしたので、いくつかの県に分けられるようになりました。
表1のように、幕府領で韮山代官の支配していた地域は韮山県、旗本領は品川県になり、さらに、寺社領や朝廷に帰順を許された太田氏の領はそのままという複雑な形になりました。
表1
明治二年
拝島村 韮山県、品川県、太田氏、大日堂、龍津寺
大神村 韮山県、品川県
田中村 韮山県、太田氏
上川原村 韮山県
作目村 品川県
それが、翌明治三(一八七〇)年には表2のように、品川県と韮山県の二つの県に整理されました。
表2
明治三年
品川県 韮山県
拝島村 宮沢村
田中村 中神村
作目村 築地村
大神村 上川原村
福島村
郷地村
しかし、村の支配や組織は江戸幕府のときと変わりませんでした。、租税の課税方法も幕府の時代と同様であり、村の組織も、名主・組頭・百姓代による村役人を通しての支配がそのまま続いていました。