中神村戸長申付書(原茂家文書)
明治政府は、明治四(一八七一)年、「藩をやめ県を置く」という廃藩置県を行いました。さらに、細かく複雑に分かれていた支配の仕組みを整理しました。その結果、昭島をはじめ多摩の地域は神奈川県に所属するようになりました。
政府は既にこの二年前の明治二(一八六九)年、版籍奉還を命令していました。版籍奉還とは、政府の方針を全国に徹底するために、各藩が持っていた版籍(土地と人民)を天皇に返させることでした。さらに、政府は藩を廃止してそれらを統合し整理して三府と七二の県をつくりました。新しくできた府と県には、政府が任命した知事を送りました。
昭島では、既に、府・県制が実施されていましたが、廃藩置県により府県の数が統合整理された結果、品川県や韮山県は廃止となり、昭島の地域は、新しくできた神奈川県に組み入れられました。
行政区画の変遷(多摩東京移管前史資料展図録による)