二 文明開化の波が

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 明治政府は、幕府に代わって新しい政治を始めました。その中心となる考え方は、鎖国により欧米諸国の文明の進歩から取り残されてしまった日本を近代国家に変えることでした。
 そのために政治の仕組みをはじめ、経済、文化など西洋のものをどん欲に取り入れました。
 人々の生活や風俗も、新しいものを取り入れ、変わっていきました。髪を短く切り、洋服を着て、牛肉を食べるといったことが、文明開化であるといって流行になりました。
 このような、ものや服装だけでなく、人々の考え方にも、次第に西洋の考え方が入り、それが新聞や雑誌によって広まっていきました。
 しかし、このような文明開化も、東京や横浜などの限られた都市のもので、地方の農村では、昔ながらの生活が行われていました。そのため、明治九年には、刀を腰に差して歩くことを禁止する廃刀令やちょんまげを結(ゆ)うことを禁止する断髪令が出されました。

明治時代初めの日本橋近くの様子(東京)
東京名所寿留賀町 三ツ井店両側富嶽眺望之図
東京都立中央図書館 東京誌料文庫所蔵