自由民権の考え方が広がる

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 自由民権運動は、明治七(一八七四)年、板垣退助、後藤象二郎らが、選挙により議員を選び国会を開設することを求める民撰議院設立建白書を提出したことから始まりました。
 薩摩・長州出身者により政治の重要な役が握られるという藩閥政治に対する不満から、各地で士族による反乱が起こりました。反乱軍が、西南戦争で決定的な敗北をすると、言論により政治を動かそうとする動きがでてきました。それが、国会の開設、憲法の制定、選挙の実施を求める運動に発展し、次第に全国へ広がっていきました。
 明治十三(一八八〇)年には、二府二十二県の代表者百十四名が集まり、国会期成同盟が結成されました。また、二府二十八県の有志八万七千人の署名を集めて、国会開設請願書が出されました。
 このような動きを政府も無視できず、明治十四年、国会開設を約束する詔勅を出しました。
 この結果、自由民権運動に参加した人々は、自由党や改進党などの政党をつくり、国会の開設に備えていきました。
 また、憲法の草案を独自に作ろうする動きもありました。五日市村(あきる野市)でも若者が集まり、自由民権の学習会を開き、「五日市憲法」といわれる憲法の草案をつくりました。