自由民権の思想が広がるとともに、多摩の各地でも自由民権運動の動きが活発になってきました。
三多摩では、五日市・八王子で演説会や懇親会が開かれだし、それが、明治十三年ごろには、北多摩にも広がってきました。そのスタートは、府中の高安寺で開かれた、神奈川県武州懇親会でした。同じころ、多摩の代表的な民権家石坂昌孝、中村克昌、吉野泰三たちも各地で演説会を催し、自由民権を宣伝しました。
昭島の村からもこの運動に参加する人々が数多くいました。武州懇親会には、郷地村紅林徳五郎、大神村中村半左衛門、上川原村指田忠左衛門が仮幹事になっていました。
そうしたなかで、北多摩の有志百四十四名によって、自治改進党が組織されました。
この政党は、自治・自主の確立を目指していました。しかし、激しく国会の開設を求め、時には武力による闘争も辞さないという、自由党をはじめとする他の激しい政党と比べ穏健な姿勢をもっていました。
百四十四名の中には、昭島より
大神村 中村半左衛門 木村新之助
石川国太郎 石川平吉
石川八郎右衛門
拝島村 秋山禎之助 榎本広輔
島田荘治郎 齋藤芳嵒
谷部金五郎
中神村 原茂佐助 川島豊亮
宮沢村 田村金十郎 小野儀三郎
福島村 岩崎良右衛門
郷地村 紅林徳五郎
以上十六名が参加していました。
その後、自治改進党は、演説会を開き、支部組織を編成しましたが、目立った活動はしませんでした。憲法が発布され国会が開設されるとともに、次第に消滅していきました。