特に、中間に位置した場所にある中神村の人々にとっては、便利なものがあるのに利用できない、という切実な問題でした。
中神村では、明治二十九年、中神駅の設置のために、五円から七銭の敷地寄付金を徴収し、合計九十八円二十一銭というお金を集めました。さらに、停車場委員会をつくり、村長に働きかけ、組合村全体の決議にして、駅の設置を青梅鉄道に要請しました。
中神駅の設置されたのは、それより十年後の明治四十一(一九〇八)年にはいってからでしたが、このような村民の動きは、鉄道の良さを認め、それに期待する気持ちの表れでした。
昭島を東西に走るこの青梅鉄道の建設は、この後の昭島を発展させる大きな契機になりました。
大正中期の中神駅風景(川島新作氏画)