三 学校ができて

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 明治政府は、明治五(一八七二)年、近代的な国家をつくるための一環として、学校の制度の基本を定めた法令を出しました。この法令は、
 「邑に不学の戸(こ)なく家に不学の人なからしめんことを期す」
というもので、国民のすべてが学校で学ぶことを目指すものでした。
 この法令は、明治二十二(一八八九)年に出された教育令により変わりますが、国民のすべてが学校で学ぶという基本的な考えは継続され、日本が近代的な国家として発展する大きな力となりました。