明治の先生たち

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 このころの小学校の先生は、日本中で小学校の設立が盛んに行われたため、教員の養成も十分とはいえない時代でした。また、その待遇も前に述べたように、訓導でも月給が十円、助教は二円という低さで、学校の運営もぎりぎりの状態でした。
 しかし、教員の出身を見ると、拝島小学校の主席訓導・校長は、東京、鹿児島、但馬、愛知、南多摩、駿河、稲城、拝島(明治十三年~大正八年の四十年間)であり、地元出身は一名でした。小学校は地元の手による運営でしたが、教育は幅広い地域からの人により行われていました。
 また、一般教員も同様に、東京市内や豊多摩・三多摩各村出身のほか、茨城、新潟、福島、福井、栃木、京都からで、拝島村からは二名だけでした

単語図 東書文庫所蔵


指教図 東書文庫所蔵