地方自治が広がって

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 このような民衆運動による政治の改革は、昭島の地域にもさまざまな変化をもたらしました。
 地方の自治権は、明治二十一(一八八八)年に成立した市制町村制により始まりました。この市制町村制により、昭島の地域では、郷地・福島・築地・中神・宮沢・大神・田中・上川原・拝島の九か村組合村になり、それが、明治三十五(一九〇二)年、赤痢の発生をきっかけに拝島が独立し、大神村外八か村組合村と拝島村に分かれていました。
 この地方自治は国から制限、統制されることの多いものでした。それが、明治四十四年、大正十年、十四年と三度の改正を経て、町村会議員選挙制度の整備、郡制の廃止、地方議会における普通選挙の実施、府県知事の承認を必要としない町村長の選任などが認められるようになりました。
 しかし、自治権の拡大は、今まで、東京府や北多摩郡が行ってきたことを各町村が行うようになるということでした。財政の負担項目も拡大するということにつながり、町村の財政を苦しめることになりました。中でも教育費の負担は大きく、拝島村では、大正十一(一九二二)年の歳出の五十一パーセントを占(し)めていました。
 
拝島村の大正期における歳出状況(拝島村会議録、市役所文書より作成)
項目大正6年(円)大正11年(円)
役場費1,173.9603,198.350
会議費19.80038.500
小学校費1,526.7404,553.280
実業補習学校費51.00072.000
伝染病予病費43.820199.500
隔離病舎費17.52030.000
警備費20.00045.000
諸税諸負担103.840504.420
神社費15.00020.000
雑支出12.000231.000
罹災救助金10.000
予備費100.000200.000