第一次世界大戦の影響

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 大正デモクラシーに代表される民衆運動の高まり、普通選挙法の実施、第一次世界大戦による産業の急成長など、大正時代には、日本が近代国家として、経済的にも文化的にも急成長していった時代でした。
 ところが、昭和の時代に入ると、それが一転しました。まず、第一次世界大戦が終結し、戦争により産業や経済が停滞していた国々が復興し、日本からの輸入に頼る必要がなくなってきました。そのため、急増していた日本の輸出が停滞し、急成長を遂(と)げていた日本の産業が不況に陥りました。
 戦争という特殊な社会状況により成長を遂げた日本の経済は、不況を打開する方向を見いだせず、不況は長引いていきました。
 輸出の減少、経済の停滞は農村にも大きな影響を与えました。
 このような社会状況の中で、軍人が力を持ち始めてきました。青年将校の中には、毎日の食事にも困るような農村の様子を憂い、政治家や軍部の上層部に強い不満を持つ人もいました。
 一方では、不況を克服し国力を高めるためには、中国大陸へ進出し、新しい市場を開拓することしかないと主張する人々もいました。
 中国大陸への侵略政策を推(お)し進めようとするファシズムや軍国主義の台頭は、年々軍備の強化をしていきました。
 昭和六(一九三一)年の満州事変に始まった日本と中国の戦争は、中国軍の激しい抵抗にあい長引いていきました。日本軍は、昭和十二(一九三七)年、北京(ペキン)の近くで中国軍と衝突したのをきっかけに、軍備を増強し、戦場を中国の各地に広げ、中国との全面戦争になりました。このような日本の侵略に対し、中国の人々の抵抗は衰えず、日本の中国への侵略は、アメリカやイギリスなどから激しく非難され、次第に国際社会から孤立し経済的にも苦しい状況に追(お)い込(こ)まれました。