五日市鉄道の廃止

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 昭島の村の人々の念願であった本村の近くを走る五日市鉄道も、戦争による影響をまともに受けてしまいました。青梅線が主に軍需工場に通う人に利用されてきたのに比べ、五日市鉄道は村の人々の足として利用されてきました。
 ところが、昭和十九(一九四四)年、国より突然の営業停止命令が出されました。物資が不足している時代に無駄な路線であるとされ、青梅線と平行する拝島・立川間は、不要・不急線に指定され、営業を停止することが命じられてしまいました。
 廃止の大きな理由は、鉄道のレールで兵器を作ることでした。戦争のために金属が不足し、金属という金属は供出させられ、お寺の釣り鐘まで持っていかれてしまうような状況でした。レールに目をつけられ、営業停止になり、ついに再開されることなく廃線になってしまった五日市鉄道も戦争の犠牲であると言えます。
 レールはすぐに撤去され、兵器に変えられてしまいました。
 その跡地は、道路に利用されたり、荒れ地のまま放置されていましたが、現在は、舗装道路になったり、住宅地として利用されています。

ありし日の五日市鉄道南中神駅


大神駅付近の跡地