勤労動員

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 戦争の状況が次第に悪化し、あちこちで空襲による被害が出るに従って、日常生活に必要なものが不足してきました。商店の店先からは品物が消え、あってもお金だけでは買うことができないようになってきました。政府が切符を発行し、その切符がなければ買うことができない制度になりました。
 また、食料も、家族の人数に応じて配給されるようになり、その量も十分になく、米や麦の代わりに、大豆やトウモロコシなどが配給されることもありました。
 成人の男子や大学生までが戦地に送られていきました。そんななかで、今の中学生・高校生の年齢の人たちは、勤労動員といって、学校で勉強をする代わりに、人手の不足した工場や農家に出かけて手伝いをしました。

軍事演習(昭和10年)
昭島市民秘蔵写真集より


出征兵士を見送る人々(昭和10年)
立川・昭島の100年/郷土出版社より


射場での演習(昭和15年)昭島市民秘蔵写真集より