八高線は、昭和六(一九三一)年、八王子・高崎間に開かれた鉄道でした。現在では考えられないようなことですが、当時の通信システムや悪天候、戦争後の列車ダイヤの乱れなどの悪条件が重なって起きてしまった事故でした。
豪雨で増水した多摩川の鉄橋で、学生や復員してきた軍人で満員の列車が正面衝突をし、死者百五人、負傷者六十七人を出したと言われる大惨事でした。昭島の地域の人々が救出に向かい、成隣小学校がその救急治療の場所になりました。
八高線鉄橋(昭和20年8月24早朝の衝突事故)写真集「多摩川は語る」より
八高線鉄橋事故のものと思われる車輪2対
八高線列車衝突事故供養塔
昭島市民秘蔵写真集より