ベッドタウンとして

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 戦後、日本の経済は高度成長を遂(と)げ、工業、商業は、めざましい発展を遂げていきました。それに伴う人口の都市集中という現象が現れ、戦後の住宅不足とは違った形で、住宅問題が発生してきました。
 東京都では、都心に通勤する人々のための住宅を確保するために、郊外の多摩地区に大型集合住宅を盛んに建設し、それに対応しました。
 そのため、昭島にも集合住宅が建てられ、その形態は、時代が進むとともに、木造住宅から鉄筋コンクリートによる大型高層住宅へと変わっていきました。
 昭島にこのような大型集合住宅が建てられだしたのは、昭和三十年代の中ごろからでした。

昭島市の人口の推移(昭和29~平成15年)


都営東中神アパート

 昭島に造られた大型集合住宅は、昭和三十四(一九五九)年の拝島住宅が初めでした。その後、中神住宅、都営中神アパート、都営東中神アパート、都営拝島団地、都営東中神市街地住宅などが昭和四十年代の前半までに、次次建てられました。また、畑や雑木林に個人の住宅も建られていきました。