交通網が整備される

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 青梅線沿線に住居を持ち、都心に通勤する人々が急増したために、昭和三十四年には、東京までの直通電車が運行されるようになりました。さらに、昭和四十三年には、西武鉄道の拝島線が開通し、西武新宿駅まで直通で行けるようになりました。それがまた、住宅地化に拍車をかけ、人口は増える一方でした。そのために、朝夕の電車は、通勤する人や通学する学生ですし詰(づ)めの状態でした。

西武拝島線の開通 昭和43(1968)年 昭島市民秘蔵写真集より

 交通網の拡大は、鉄道に限らず、道路網にもみられました。
 国道十六号線は、多摩川で分断されていて、八王子へ行くのには渡し船で行くか、立川を回り日野橋を利用するしかありませんでした。それが、昭和三十年の拝島橋の開通により一気に八王子に行けるようになりました。

拝島橋の開通 昭和30(1955)年

 江戸街道が整備され立川との行き来が便利になり、砂利道だった道路も舗装されるようになってきました。