昭和二十九(一九五四)年、市制が施行されると直ちに上水道の事業が認可され、第一水源井が完成するとともに、その年の十一月には、市民の二万人に水道水が給水されるようになりました。その後の人口の増加に伴い、水源井は増設され、現在でも、地下水百パーセントのおいしい水が供給されています。
廃棄物の処理も近隣の都市に先駆けて行われるようになりました。昭和三十三年、塵芥焼却場を完成させ、ごみを収集し焼却処理する方法に変わりました。また、下水道の総合計画もこの年から始められました。
昭和四十四(一九六九)年に機械化された塵芥焼却場は、さらに、平成九(一九九七)年に、環境に配慮した新しい清掃工場に作りかえられました。
このように、健康で安全な都市づくりが市の発足とともに続けられてきました。
昭和33年ころの焼却場