大正八年、郷地村の紅林七五郎らが申請

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 甲武鉄道(今のJR中央線)が新宿から立川まで開通し、後を追うように立川から青梅までの青梅鉄道(青梅線)が開通したのは明治二十七(1894)年十一月のことでした。
 それから十五年後の大正八年(1919)四月、当時の内閣総理大臣に一つの鉄道建設願いが提出されました。「軽便鉄道敷設願」(次ページ画像①2。49ページ資料1に全文)と題する願書は、勝峯山(かつぼうやま。現日の出町)からの石灰石輸送と旅客輸送を目的とする鉄道計画です。これが後の五日市鉄道です。
 「五日市にも鉄道を通したい」という機運は、多摩川筋(青梅方面)に遅れまいとする秋川筋の有力者たちの間で起きていました。願書は、この動きを背景にした鉄道計画でした。