二回目申請は立川駅が起点

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 最初の敷設願を提出していた紅林らは、一年後の大正九(1920)年三月に、今度は「軽便鉄道敷設起点変更願」(資料4)を提出しています。起点を中央線立川停車場とする内容です。
 起点変更の理由は書かれていません。おそらく七五郎自身の砂利専用鉄道が未完成の上、二つの砂利線を経由する路線では鉄道省からの免許交付が難しいと判断したためと思われます。