免許取得から会社設立へ

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 拝島駅に起点を変更した紅林ら十二名の申請に対し、鉄道省は大正十(1921)年七月十五日付で地方鉄道法による免許状を交付しました。三度目の正直で、やっと実現する運びとなったのです。
 敷設免許を手にした発起人たちは、途中から加わった内山安兵衛を創立委員長に据え、会社設立を進めました。内山は五日市町の名望資産家で、神奈川県議や東京府議を経た後、大正九年には代議士(政友会)となっていました。
 こうして大正十一(1922)年五月七日、五日市鉄道株式会社が設立されました。本社は五日市町五日市四十七番地に置かれ、社長には内山がそのまま就任しました。内山はこの後、南武鉄道と合併するまで社長を続けることになります。
発起人総代であった紅林七五郎は設立当初、取締役に就きました。
 

画像①7 会社設立に向けた創立委員会開催通知
(日の出町・(上)羽生家文書)