敷設免許を手にした発起人たちは、途中から加わった内山安兵衛を創立委員長に据え、会社設立を進めました。内山は五日市町の名望資産家で、神奈川県議や東京府議を経た後、大正九年には代議士(政友会)となっていました。
こうして大正十一(1922)年五月七日、五日市鉄道株式会社が設立されました。本社は五日市町五日市四十七番地に置かれ、社長には内山がそのまま就任しました。内山はこの後、南武鉄道と合併するまで社長を続けることになります。
発起人総代であった紅林七五郎は設立当初、取締役に就きました。
画像①7 会社設立に向けた創立委員会開催通知
(日の出町・(上)羽生家文書)