早かった立川までの延長線申請

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 五日市鉄道の発起人らは、当初から一貫して立川駅へ乗り入れることを望んでいました。例えば、最初の軽便鉄道敷設願(大正8年4月)は二つの砂利線を経由していますが、実質は立川駅が起点です。鉄道省の意向を受けて拝島駅起点に変更した後も、その構想は続いていました。そのため、拝島・五日市間が開業する前に、というよりも免許取得翌年の大正十一(1922)年十一月には早くも「五日市鉄道延長願」(資料9)を提出しています。この中では「立川駅マテ延長シ省線ト連絡スルニ非レハ当鉄道ノ使命タル公益ヲ充分発揮シ能ハサル」と記述しています。
 延長の理由としては、青梅鉄道も新たな石灰石採掘場を計画中で輸送力は限界になる、砂利輸送がますます増える、路線は平坦で工事は容易である、など数点を挙げています。