五日市鉄道が立川駅へ乗り入れたい大きな要因は勝峯山産出の石灰石の輸送路確保で、そのキーワードは浅野セメントといって差し支えありません。
元官営の深川工場(現江東区清澄)で操業を始めた浅野セメント(現太平洋セメント)は、日向和田などの青梅鉄道沿線で石灰石採掘を行っていました。その後、川崎工場(大正6年操業開始)を建設した浅野セメントは新たな採掘地として大久野村の勝峯山を選択しました。この浅野セメントの動きと前後して起きたのが五日市鉄道の敷設計画でした。この時、五日市鉄道の発起人らは、①大久野村の石灰石を浅野セメントへ売り、②大久野村にセメント工場を誘致する、③その見返りに浅野セメントから鉄道建設資金を仰ぐことを期待していたのです。結果的にみて、これらの期待は実現することになります(「五日市町史」)。