画像①11 南武五日市両鉄道連絡延長線許可申請ノ儀副申
(大正12年12月。東京都公文書館)
画像①12 竣工当時の浅野セメント西多摩工場(昭和4年。日本セメント「百年史」1983より)。
山肌を見せているのが勝峯山採掘場。工場からは製品を運んだ。すぐ前が武蔵岩井駅。
そこで、浮上したのが立川駅までの延長を目論んでいた南武鉄道(現JR南武線)と五日市鉄道の両鉄道を立川駅で連絡させる案です。
そこで、既に延長願を出していた五日市鉄道は大正十二年十二月、今度は南武鉄道と共同で互いに立川駅へ乗り入れ、連絡する申請(「南武五日市両鉄道連絡延長 線御認可申請書(画像①11)」を出願しました。大震災で輸送量が増加するなど、両鉄道接続の必要性が高まったと申請書に書いています。