昭和19年10月、立川・拝島間は休止に

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 南武鉄道との合併、戦時買収による国有化。五日市線は時局に翻弄されていました。そして、ついに昭和十九(1944)年十月十日限りで立川・拝島間は「休止」とされました(昭和19・10・5「運輸通信省告示第483号」)。
 休止の目的は、激増する戦時輸送の効率化と効果的な運用でした。具体的には輸送量が少なく、重要物資輸送に関係のない閑散線区を休止させ、そのレールや橋桁、枕木などを重要線区に転用させることでした(『日本国有鉄道百年史』第5編 戦中戦後時代。第11巻)。
 立川・拝島間の五日市線の場合は、ほぼ並行して青梅線があること、また、その青梅線が複線化(立川・中神間。昭和18年7月実施)され、「不要不急」となったのが直接の理由だと思われます。なお、「休止」としたのは後日必要に応じて復活を予定していたからです。
 

画像①21 10月10日限りの「休止」を告示する運輸通信公報
(部分。一部補正。鉄道博物館所蔵)
同じ五日市線南拝島・拝島多摩川間(砂利線。第4章参照)も同日付で休止。