戦後の線路跡

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 戦後すぐ、旧経営者から復活の要請(資料16参照)もありましたが、立川・拝島間の復活はありませんでした。
 その後、立川市域(立川・郷地駅間)が比較的早く道路(立川南通り)となった一方で、昭島市域は線路跡で野菜を作る人が出たり、不法投棄が目立つ放置状態のところもありました。その後、国鉄の民営化を経て、管理していた国鉄清算事業団から昭島市が敷地を取得し、「五鉄通り」として道路整備が行われました。
 
表3 五日市鉄道概略年表
大正8.4紅林七五郎らが「軽便鉄道敷設願」提出(拝島村起点)
大正9.3.13「軽便鉄道敷設起点変更願」提出(立川駅起点)
大正9.8.9「五日市鉄道起点変更願」提出(拝島駅起点)
大正10.7.15五日市鉄道敷設免許が交付される(拝島・五日市間)
大正11.11「五日市鉄道延長願」提出(拝島・立川間)
大正12.12南武・五日市両鉄道が連絡延長願提出
大正13.2.8五日市鉄道立川延長線免許交付(立川・拝島間)
大正14.4.21五日市鉄道開業(拝島駅・五日市駅間。11.1㎞)
大正14.9.20武蔵五日市・武蔵岩井間開業(2.7㎞)
昭和5.7.13五日市鉄道立川延長線開通(立川・拝島間。8.1km)
市域に郷地、武蔵福島、南中神、宮沢、大神、武蔵田中、南拝島の7駅が開設される
昭和6.12.8拝島支線開業(武蔵田中・拝島多摩川間。1.6㎞)
昭和15.9.1南武鉄道と合併(南武鉄道五日市線。立川・武蔵岩井間)
昭和19.4.1国有化される(国鉄五日市線)
昭和19.10.11五日市線の立川・拝島間、拝島支線が休止となる
昭和32.5.19五日市線が気動車化される
昭和36.4.17五日市線が電化される(拝島・武蔵岩井間)
昭和46.2.1大久野・武蔵岩井間廃止
昭和57.11.15武蔵五日市・大久野間廃止
昭和62.4.1国鉄が民営化される(JR五日市線)
平成3.3.30旧五日市鉄道廃線跡敷地を昭島市(土地開発公社)が国鉄清算事業団から取得
平成12.3旧大神駅跡にポケットパーク完成。説明板設置
平成17.1.1廃線跡を「五鉄通り」と命名