上の平面図によると駅本屋(駅長室)は線路南にあり、ホームは島式で待合室もあります。線路北には社宅が、貨物は線路南で取り扱っていたようです。
下の写真二枚は、共に昭和十五(1940)年頃の南拝島駅です。画像①56では、駅のすぐ南側で行われている農作業風景が見えます。画像①57は、出征兵の見送り光景だと思われます。駅舎は小さいものの、すっきりしたデザインです。
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画像①55 南拝島停車場平面図(部分。東京都公文書館)
右が拝島駅方面
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画像①56 ありし日の南拝島駅①(宮岡和紀氏所蔵)
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画像①57 ありし日の南拝島駅②(榎本武氏撮影)
この辺りの線路跡は、昭和四十年代後半に都道新奥多摩街道として整備され、昭和五十三(1978)年に旧日光街道(現奥多摩街道)と所管換が行われ国道十六号になりました。
さて、駅跡には四十年ほど前(廃線から30年後)までコンクリート片が残っていました(画像①59)。しかし、今では会社ビルが建っており、駅の痕跡は残っていません。ただ、国道の南側に行くと、かつての駅前の雰囲気がわずかに残っています(画像①60)。
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画像①58(現在)国道16号拝島農協前歩道橋からみた南拝島駅跡
立川方向を写す。右手前が農協。駅はその先のビル一帯にあった。
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画像①59 40年前の駅跡(1975.9佐藤美知男氏撮影)
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画像①60(現在)かつての駅前通り
南から北を写す。突き当りが国道16号。