昭和7(1932)年9月4日、虚子らの句会が拝島で開催され、『ホトトギス』11月号に同行の高野素十が紀行文「拝島残暑」を寄せています。
~立川で乗り換えて五日市行の小さな箱の車に乗る。走り出すだろうと考えておった方向と全く反対の方向へ動き出す。恐ろしく大勢乗ってしまって男も女も立ち通し。電車の形をしておるが電気で走っておるのではあるまい。(中略)どちらを向いても桑畑ばかり。(中略)南拝島という小さな駅に下りる。(中略)駅の茶店にも人は居らぬ。小学校にも人は居らぬ。百日草の咲いておる百姓家が二三軒あって、そこで今日の集合場「佐久間」という料亭を訪ねて行く~
「小さな箱」「反対の方向へ動き出す」は、当時の1輌編成で前後に動くガソリンカーのこと。水曜日なのに「大勢乗った」のはやはりハイキングでしょうか。「駅の茶店」は内出商店だと思われます。 最後に一句。
秋桑の尚のびてゆく雲の峰(高浜虚子)