画像②8 多摩木鉄道で砂利を運んでいた浅野石材のホッパー
(大正14年撮影。前掲「砂利に関する調査」より)
河原からワイヤーで砂利を運び選別した。現大神町4丁目。
関東大震災後から運行し、大量の砂利を輸送した多摩木鉄道。大神地区では浅野石材という大手砂利採取業者が利用し、施設も大規模なものがありました(画像②8)。一方、田中地区などでは地元住民らが砂利採取権を保有しており、多摩木鉄道に砂利を搬入していたようです。このような状況下、多摩木鉄道の沿線では地元民も含め、多くの人々が砂利採取業に従事していたのです。
その後、戦時中の昭和十七(1942)年頃から多摩木鉄道はほとんど休止状態にあったようで、戦後の昭和二十一年十月になって、同二十(1945)年十月五日付の専用鉄道廃止届が出されています(国立公文書館・運輸省文書「多摩川砂利木材鉄道」)。廃止届が遅れた書類上の混乱は、本社が戦災に遭ったことが大きな原因です。
廃止後、法令上は中央線多摩川支線の側線として存続したと見られますが、多摩川支線そのものも昭和二十一(1946)年五月限りで廃止されました。
大神地区などでは、戦後も砂利採取は盛んに行われていますが、輸送はトラックに切り替わりました。
画像②9 多摩川砂利木材鉄道の印半纏(市教委所蔵)