さて、大正十三(1924)年に提出された図によると、軌道の起点は「拝島村字山ノ神一六四一番先」になります。これは現在の拝島町五丁目十三番先にあたり、昭和用水堰の北付近です。ここから崖を登り、現在の都営拝島町三丁目アパート(拝島団地)を突き抜けています。その北で二本の府道(現在の奥多摩街道と国道16号)を横切っています。その北は畑の真ん中や当時はおそらく雑木林であったところなどを通り、現拝島第三小学校の南から小さな道に沿う路線になっています。その先はやや急坂を登り、そのまま道に沿いながら青梅線の線路に至っています。青梅線の南には、この図面提出後に五日市鉄道(立川・拝島間)が敷設されますが、この時点では記載されていません。
また、下の図(画像③3)は「公有河原敷使用許可願」に添付された河原実況図です。崖、堤防、多摩川の橋梁などの位置関係がよくわかります。
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画像③3 河原実況図
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画像③4「村道使用御願」添付図
(加筆補正後)(拝島村役場「道路関係」所収)
太線が西尾組砂利軌道。北が青梅線、南端が多摩川。