開通は大正十三(1924)年か

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 大正十三年三月に申請した西尾組砂利軌道はいつ、実際に開通したのか。これに関する直接の史料は、今のところ未発見です。ただ、青梅電気鉄道文書(青梅市郷土博物館蔵)の中に「西尾保」が大正十四(1925)年には拝島駅から砂利を発送していた事実を示す資料(左表1)があることから、遅くとも大正十三年中には開通したと考えられます。
 このデータからもわかるように、西尾保の発送量は拝島駅では第一位です。軌道が開業し、すぐ第一位になるとは驚きです。しかし、この後、西尾保には大きな動きが続くことになります。なお、第二位の東京府は、現在の睦橋付近に府営の砂利採取場を設け、やはり専用砂利軌道を所有していました(福生市教育委員会「福生の砂利線・渡船」2013年)。
 
表1 (大正14.1~14.12。一ヶ年) 荷主別拝島駅砂利発送数
荷主名 トン数
東京府 31,844
西尾保 51,092
安藤トラノ 9,275
橋本 15
内出猪十郎 160
森田市松 10
内山将三郎 28
大福武兵衛 10
 計 92,434

青梅電気鉄道文書「各駅荷主別砂利発送噸数調」(運輸課)
09-C-04から作成。