西尾保から第一砂利に

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 大正十四(1925)年に拝島駅の第一位を占めた西尾保の名前は、実はこの年限りで消えてしまいます。表2は、青梅鉄道の社内報「青電」(昭和4年5月15日発行。青梅市郷土博物館蔵)に掲載された青梅線における砂利発送人番付です。この年、拝島駅は青梅線全体の四割を発送し、その中で横綱に第一砂利会社、前頭に東京府が掲載されています。この第一砂利が西尾保から代わった荷主です。
 西尾と第一砂利の関係は不明ですが、西尾自身が第一砂利の一員として記載されている資料もあり、間違いなく後継者です。こうして、その後は西尾軌道を使った第一砂利会社を荷主とし、西尾組は運搬軌道を所有する砂利採取業者として、そのまま存続したようです。
 
表2 昭和3年度 青梅線個人別砂利発送番付
横綱 第一砂利会社(拝島駅)
大関 東京市(小作駅)
関脇 河辺砂利会社(河辺駅)
小結 萩島茂留(川岸積込所)
前頭 東京府(拝島駅)
 同 村尾春吉(福生駅)
 同 古谷友吉(羽村駅)
 同 荒井文吉(青梅駅)
 同 長井奈良石(小作駅)