西尾組砂利軌道廃線跡ガイド

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画像③11 現在の多摩川
 2016年、八王子市高月町から撮影。

 地図にも載っていない謎の砂利線。これが西尾組砂利軌道です。したがって、廃線跡の特定が難しいところがあり、頼りは西尾保が拝島村に提出した大正十三(1924)年の「村道使用御願」添付図(87ページ画像③4)です。この図面に示された予定路線を、現在に置き替えた図を次ページに掲げてあります。
 上の写真は右岸側から撮影した現在の多摩川で、左上に見えるのは昭島市拝島町三丁目の都営住宅(拝島団地)です。また、下流に見えるのが昭和用水堰で、この堰の真ん中あたりが市境となります。つまり、手前側が旧南多摩郡加住村、現在の八王子市高月町です。
 かつて、このあたりの多摩川は小河内ダムも昭和用水堰もなく、大雨のたびに上流から運ばれた大量の砂利が堆積し、今とはまったく違う光景だったと想像されます。そこでは、多くの人々が砂利採取業に従事し、いくつものトロッコが河原に敷かれていました。このため、河原は砂利だらけで、今のように青々とした木々が育つ環境ではなかったのです。
 今からおよそ九十年前、西尾保が拝島駅へ運んだ砂利の採取地は、まさにこの付近なのです。
 

[西尾組砂利軌道廃線跡概念図]

 

①地点(画像③12)西尾保「公有堤防使用許可願」添付図(大正13年。加筆)
中央の縦二本線が軌道予定線。
旧九ケ村用水取水口の下流から堤防を横断し、崖地を上って北に向かっている。
上りきったところが現在の拝島団地。


①地点(画像③13)軌道が横断した堤防と崖線
 昭和用水堰から上流方向を写す。軌道は左の多摩川から堤防上の自転車付近を横断。
右の崖線を上って拝島団地に向かったと思われる(崖をどうやって上ったのか)。
突き当りが旧九ヶ村用水取水口と水神。崖線の下を水路が流れていた。

 

①地点(画像③14)起点近くの水神
 安定した用水供給を祈願する。余談だが、砂利屋は大雨が降ると赤飯を炊いて喜んだと伝わる。

 

②地点(画像③15)拝島団地内やまのかみ会館前
 トロッコはこの道路付近を北上か。

 

③地点(画像③16)奥多摩街道「上宿」バス停
 このあたりを通過し国道16号方面に向かった。16号の北は住宅街で廃線跡は不明確。

 

④地点(画像③17)小荷田児童遊園
 軌道は児童遊園の東を北に向かった。

 

⑤地点(画像③18)拝島三小南信号
右道路の先が拝島第三小学校。軌道は左の横道に入り、北上する。

 

⑤地点の北(画像③19)緑町五丁目1番付近
 左上写真の小道を北に進んだ地点で、緑街道の手前。電柱のところは道が左右に分かれる三叉路。
軌道は分かれず直進していたと思われる。
ちなみに、三叉路は旧拝島村の三つの小字(林ノ上、松原、松原上)の境界点です。軌道は松原上に向かった。

 

⑥地点(画像③20)緑街道を横断 西東京バス「第三小学校」バス停。
太い道路が現緑街道。砂利軌道は緑街道を横断し右に見える坂道付近を上ったと思われる。
なお、緑街道は当時はまだなかった。
また、バス停の先、右に入る道が「松原(現松原町5丁目)」と「松原上(松原町4丁目」の境である。

 

画像③21 拝島村役場が第一砂利・西尾保に警告(前掲「道路関係」)
昭和4年、松原上の村道で無断土盛り工事をしたため復旧工事を指示している。

 

⑦地点南(画像③22)
松原町4-8付近。住宅街の小道沿いに軌道は北へ。突き当たりが拝島停車場通り。

 

⑦地点(画像③23)拝島停車場通りを横断し青梅線方向へ
手前が拝島停車場通りで左方向が拝島駅。砂利軌道はビルと駐車場の間を青梅線方向に進んだ。
突き当たりが駐輪場(五日市鉄道との交差部)である。

 

⑧地点(画像③24)駐輪場(トンネル)の手前

 

⑧地点(画像③26)駐輪場から南を(トンネル跡)

 

⑧地点(画像③25 1981年、岡本憲之氏撮影)砂利軌道が通ったトンネル
 トンネルの上が五日市鉄道の線路跡。写真は北から撮影。トンネル上の構造物は水道管空気弁。47ページ画像①66・67参照。

 

⑨地点(画像③27)江戸街道から青梅線を
 左は保育園。この道を青梅線に向かって進んだ。

 

⑨地点(画像③28)青梅線の手前
 砂利軌道の終点。青梅線貨車に積み替えたのは金網の先か。