申請から開業まで

104 ~ 104 / 130ページ
 五日市鉄道による拝島支線の申請は、昭和四(1929)年十月十二日に出されています(画像④1)。本線の申請直後なので早くから計画していたことがわかります。申請内容は、本線五・七キロメートル地点(昭和村。後の武蔵田中駅)から分岐し拝島村字向田に至る一・六キロメートルの鉄道で動力は蒸気、用途は貨物輸送とあります。翌年の昭和五(1930)年七月一日付で敷設免許が交付されました。
 拝島支線は、用水路(当時の立川町外二ケ村用水。現在の昭和用水)や府道(現在の国道16号)、村道をそれぞれ横断するため、工事については地元の拝島村と昭和村、及び東京府の許可を受ける必要もありました。予定より少し遅れ、昭和六年(1931)十二月八日に支線は開業しています。八高線開通の二日前です。
 

画像④1 拝島支線敷設申請書(東京都公文書館314.E1.16)