昭和18(1943)年開通か

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 「終戦間近の混乱期」とはいつのことでしょうか。漠然とした表現で、先の陳情書にも明確な期日は書かれていません。こうした中、開通時期を絞り込める「文言」が膨大な青梅電気鉄道文書の中に二点だけあることがわかりました。
 一点目の資料は、青梅電気鉄道が鉄道省に提出した昭和十八(1943)年二月十五日付の「西立川変電所新設ノ件 回答」と題する文書(4-E-13「鉄道大臣鉄道局長鉄道法ニ依ル許可認可届出書」所収)です。この中に「尚東中神・中神間ニ新設セラレタル航空工廠ニ至ル中神駅ヨリノ専用引込線新設モ目下軍部ノ要求ニヨリ工事施行方交渉中ニ候ガ鉄道用地ハ既ニ軍部ニ於テ買収済ニ有之」とあります。この文書は西立川変電所に関するもので、間接的に引込線が記述されているものです。
 これによると、①引込線は中神駅から陸軍航空工廠に至る路線であること、②1943年初めには敷設に関する具体的な動きが始まっていることがわかります。ただ、鉄道用地を軍部が買収済みという点は誤りだと考えられます。
 二点目の資料は、青梅電気鉄道の内部資料である『貨物輸送実績』データです(画像⑤1)。鉄道用語、しかも省略された書き方で解読がそもそも難しいデータですが、これによると、中神駅分岐の陸軍引込線と思われる輸送の中で、最初にデータが記載されているのは昭和十八(1943)年十月五日です。この資料だけで特定するのは危険ですが、この日に中神引込線が開通した可能性が高いといえます。
 

画像⑤1 青梅電気鉄道「貨物輸送実績」(部分。07-A-31)
左端が「中神 陸軍」の欄。「車」「屯」「運賃」とあり、10月4日までは空欄で5日は貨車1両、18トンを輸送している。