航空工廠関係者の証言①

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元工廠長:猿谷吉太郎氏
 工廠への多量の資材搬入、外部への物資の輸送には当然鉄道の引込線が必要になって来る。そこでその引込み線路の敷設位置をどうするかが問題になったが、結局次のように決まったのである。
 即ち、中神駅を起点として工廠西側に沿って線を敷き、工廠西北端に於いて廠内に入り、当時の鍛工場の北の場所を終点とした。
 なお、工廠北側には広場といえる余地がなかったので、これを機会に飛行機の組立、立川飛行場への搬送等のため三千坪位を新たに購入したことを思い出す。
(昭和60年12月「東中神にて工廠を思う」。航友会報『つばさ』第11号掲載)