陸軍時代の運行状況は不明

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 昭和十八(1943)年には開通したと思われる中神引込線。当時の青梅電気鉄道中神駅から分岐し、軌間は青梅線と同じ一〇六七ミリの非電化路線です。
この鉄道の敷設工事はどこが施工したのか、これは不明です。青梅電気鉄道に委託、あるいは陸軍鉄道連隊が施工したとの話も伝わりますが、確実なことはわかりせん。また、運行に関する資料もまったくありません。同じ陸軍関連の引込線の内、八高線拝島駅から分岐していた陸軍航空廠熊川倉庫引込線に関する資料はある程度残っています(昭島市教育委員会「青梅鉄道昭島関係史料集」2014年所収)が、この中神引込線に関する資料が残っていないのは不思議です。国有の八高線、民営の青梅線との違いだけではなさそうです。
 

画像⑤3 終戦直後の引込線(1947年米軍撮影。国土地理院所蔵)

 陸軍航空工廠の資材運搬用として昭和18(1943)年頃敷設された中神引込線は、航空工廠が立川基地に組み込まれたため米軍立川基地引込線として利用された。左中ほどの宿舎は現在は都営中神アパートに、技能者養成所は今、昭島病院などの恩賜財団東京都同胞援護会に変わっている。