航空工廠関係者の証言②

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元宮城師範の勤労学徒:菅原郁夫氏
 ○青梅線東中神駅東中神駅に着く。思えば勤労学徒として動員され、この駅に降り立ったのは五十年前の昭和二十年二月初頭の日だった。動員先の「陸軍航空工廠」は、ここから歩いて十数分くらいの所に在り、寄宿舎は更に近かった。
 ○「この地点左側が工廠正門です」の声に、全身に緊張が走る。太い木柵と有刺鉄線が張り巡らされている。立入禁止の表示が立てられている。夏草と藪に覆われて・・・すべての木々が伸びきった枝葉を広げあい、目の届く限り続いている。かつての工廠の偉容はいずこに。
 ○寄宿舎跡地へ向かう。アパート団地の中央道に出る。ここには大きな防火用水槽が等間隔に数箇、小高く造られていた。この水槽の真向かいが東側で寄宿舎があった。木造の二階建てで、十数棟が並んでいた。
 ○寄宿舎近くの道で、放置されたままの工廠引込線を発見する。二本の鉄路の錆に動員中の辛苦が思い重なる。
(平成8年「思い出の地を訪れて」。宮城師範一九予会『わが青春の譜』掲載)