基地返還で引込線も廃止

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 多くの日本人従業員も働いていた米軍立川基地の存在は大きなものがありました。しかし、様々な情勢変化があり基地機能の整理統合が進みました。昭和四十四(1969)年の飛行停止を経て、昭和五十二(1977)年十一月末、立川基地は全面返還されました。
この間、昭和四十六(1971)年十一月には重油を立川基地へ運ぶタンク車が中神駅構内で横転する事故も起きていました。
 立川基地の返還を受けて、主として航空機燃料を輸送していた中神駅からの引込線は昭和五十三(1978)年七月一日付で廃止されました(「鉄道公報7725号」)。戦前の日本陸軍時代からの中神引込線の歴史が閉じられたのです。
 廃線跡は道路や歩道として整備されているほか、終点部は市立むさしの公園に姿を変えています。また、
引込線モニュメントが計三か所に設置されています。
 

画像⑤5 立川基地時代の引込線(1976年3月、篠氏撮影)
ディーゼル機関車が燃料タンク車を牽引し、中神駅に向かっている。
国鉄の機関助手?が前後に乗車し、旗を振って列車の接近を知らせていた。
廃止2年前。122ページ概念図③地点。